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2007/05/25

070524_cloudy

周期的に、理由もなく寂寥感に襲われる。
しかもタイミングを計ったように雨が降り出したりすると、その感覚は増幅され、透明でやわらかなカプセルとなってわたしだけを包み込み、世界から切り離す。

昨日、所用で訪ねた聾学校では、事務員さんが色画用紙を切り抜いて大きなこうもり傘を作っていた。

「もうすぐ雨の季節ですからね。」

聾学校というところは、季節の演出にとても長けている。廊下や教室の壁を飾る色とりどりの、四季の風物。
きっとあの事務員さんは、こうもり傘の次には紫陽花とカタツムリを作ったのに違いない。そして水色の画用紙を雫の形に切り抜いていったかも。

そしてきょうは雨。

不意に襲ってきた寂しさ。何かを失ったわけでも、誰かが離れていったわけでもないのに、これは何だろう。未来の孤独を先取りしている、そんな気もする雨の朝。

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コメント

こんにちは。

昨日までの五月晴れが一気にいなくなってしまいました。
(関東の話ですが。)

「全部長袖を買って、夏は腕をまくればいいじゃない」
まったく季節感のない僕が来ましたよ。


>未来の孤独を先取りしている、そんな気もする雨の朝

なんだか興味深いです。
どういうものなんでしょう。
雨が増幅する疎外感。
なおこ さんみたいに
家族に囲まれて暮らしていても、
それでも訪れるもの。

快適な晴天を失ってさびしいとか、
低気圧のせいで体調が低下するとか、
そういう直接的なものではないんでしょうね、きっと。

僕にも同じことがあるような気がして。
だけどなんだか正体がわからなくて。

今そこにある不安なのか、未来なのか、
それとももっと先にある…、そんな予感なのか。

よくわからないコメントですいません。
ちょっと中二病ちっくだったかも。

また~。

投稿 ボクシングファン | 2007/05/25 14:50

こんにちは。
こういう感覚って、1人でいても常に家族が身の回りにいても襲ってきますね。

たとえば、未来を先取りといっても、いつか子ども達が自立して離れていってしまうだとか、そういった現実的なものともちょっと違う。

自分だけ離れ小島にいて、1人きりで世界の流れを傍観しているような。自分だけ立ち止まってて、世界はどんどん動いていってるような、ああ、ついて行けてないなあ、みたいな感覚はちょっとある。でも、焦って流れに載っていこうとも思わない。

かと言って、それだけでもない。よくわかんないですね(笑)


そんなことより。


> 「全部長袖を買って、夏は腕をまくればいいじゃない」
> まったく季節感のない僕が来ましたよ。


サイコーです(爆)

投稿 なおこ | 2007/05/26 14:14

なおこちゃん、こんにちは♪

なんか、わたしの場合はちょっと違うのかも知れないけど。
昨日、ある音楽家がテレビに出てたのね。
そんなめっちゃ有名とかいう人ではないと思うんだけど、
若くてきれいで、28才にして私よりずーーーっといろんなこと経験してて。

ふと、すごぉく自分が価値のないひとに思えて。
もちろん、そんなことないんだろうけどね。
価値のない人なんていないっていうけど、
でもより価値のある人は絶対いるよな・・・・とか。

そうやって、一人取り残されたような感じになるのとは、ちょっと違う?

投稿 のんちゃん | 2007/05/27 17:05

そういう感覚って、なんだか動物っぽい。
何って言葉にできないけど、なんか感じるのね。ふむふむ・・

投稿 hirorin | 2007/05/29 16:14

>のんちゃん
レス遅くなってゴメンナサイ。
こういうスイッチが入る(というよりスイッチが切れるっていう感覚かも)きっかけって人それぞれなんだねー。
わたしは、hirorinが書いてくれたように「動物的」な感覚なんだと思う。のんちゃんみたいな知的なきっかけではないもの。
本能に近いところが沈み込んでしまう感じなの。

>hirorin
そうなの。動物っぽい。原始的なのだ(笑)

投稿 なおこ | 2007/05/30 21:02

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